奨学金完済に想う、学生時代のこと。

つい先日、大学在学中に借りていた日本育英会(現:日本学生支援機構)の奨学金の《返還完了証》のハガキが届きました。貸与額は180万円(月5万円 × 12ヶ月 × 3年間)。月1万円ちょっとの額を、大学卒業から13年半掛けて9月末まで返し続けてきました。

なぜだか7月末で完済だと思い込んでいて、最後の最後に督促の電話が掛かってきてびっくりしたりしたけれど(笑)。

私にとって、奨学金完済はひとつの大きな節目。今日は奨学金を借りた経緯や学生時代のことなど、つらつら書いてみようと思います。

急転直下の学生生活

三人兄妹の末っ子として自営業の家庭に生まれ育った私は、関西では名の知れた私立のお嬢様学校に、中学高校と入学→卒業。そこから庶民的な公立大学に進学し、学生生活はごくごく呑気に幕を開けました。

状況が変わったのは、1回生の終わり頃のこと。ずっと自転車操業を続けていた父の会社経営がいよいよ行き詰まり、よもや夜逃げの一歩手前、という状況に陥っていることが露見……。

次年度の学費なんて逆立ちしたって捻出できないことがわかり、私は大学を休学し、父の仕事を1年間無給で手伝うことを決意。昼間は父の会社に行き、夜は飲食店でバイト。たった月数万円のバイト代さえ、親の借金返済にあてがわれたこともありました。

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この1年の間に、私はストレスで激痩せ。身長161センチで、体重が40kgを切りかけたこともあったくらい。

私一人がこれ以上身を削って家業を手伝ったところで、焼け石に水。だったら私は私の人生を生きよう……と、復学のために育英会の奨学金を申請。無事に奨学金が借りられたことで、1年遅れで2回生へと進級しました。

《親からの完全独立採算》の三年間

なんとか復学はしたものの、口を開けばお金の話しか出ないくらい、両親の仲は険悪で家の中は荒んでました。

ひと足早く、家出同然で実家を飛び出し一人暮らしを始めていた2歳上の姉がその状況を察知し、「このまま実家で親の近くにいたら、例え復学していても涼子が潰れてしまう」と、私を実家から引っ張り出す計画を立ててくれました。

実家と大学のちょうど中間地点、天満・天六界隈に姉が部屋を借り直してくれて、2回生の夏からそこで二人暮らしが始まったのです。

エレベーターなしの3階、トイレとお風呂がワンセットのユニットバス付き、キッチンを挟んで左右にひとつずつ個室が振り分けられている、こじんまりした2DKの部屋でした(当時大人気だった漫画「NANA」の707号室の間取りにちょっと似ていた・笑)。

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月7万円の家賃を、姉が4万、私が3万負担してのスタート。学費・光熱費・生活費を含め、親から一切の資金援助なし、という完全独立採算が大前提。頼れるのは奨学金とバイト代のみ、まさに《働かざる者、食うべからず》!!

食事はほぼ自炊、お弁当を作るときは姉の分まで。100円ショップを何店舗もハシゴしては見栄えのいい雑貨を探し、少し値が張るものを買うときは事前に姉に相談。合意が得られれば折半したりもしてました。

ちなみにこの2DKの部屋、姉は就職と同時に出ていったものの、私はそのまま一人で住み続けました。後に今の夫が転がり込んできて同棲→新婚生活が始まり、通算10年お世話になるとは思いもしなかったなぁ。狭いけどいい部屋だった……!!

がむしゃらな学生生活で得たもの

私が在籍していたのは、建築系の学科。年次があがる度に課題が増え、バイトを辞めて学業に専念する友人も多かったけど、私にそんな選択肢はあるはずもなく。

昼は大学、夜はバイト。長期休暇になればバイトの昼夜掛け持ちは当たり前……。そんな生活を送りながら「早く社会人になりたいな~。社会人になったら、昼に稼いで夜は好きなことできるのにな~」とよく思ってたっけ(笑)。

一方で、父の会社で働くという中途半端な社会人経験のお陰で、学生の時間の自由さがどれほど貴重なものかを身にしみて感じてもいました。

このまま課題とバイトだけに明け暮れて、学生時代を終えてたまるもんか……!! そう思ってギリギリの生活のなかでもなんとかお金を溜めて、海外バックパッカーひとり旅も数回敢行しました。

この記事に使ったのは、当時旅先で撮った懐かしい写真達!! 格安航空券、ローカル列車・バス移動、宿泊先はユースホステルのドミトリー。お供は《地球の歩き方》……。そんな旅での経験もまた、ものすごく刺激的なものでした。

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この時代の心境を、ひと言で言えば「がむしゃら」。なにくそ、この状況に負けてたまるもんか……!と、斜に構えて肩に力を入れまくって必死で走り続けた3年間、だったように思います。

奨学金制度に思うこと

最近、奨学金制度について「学生に借金を負わせるなんて……」といった否定的な意見を見かけたりもしましたが、返還義務こそあれ無利子でお金を借りられたことは、私にとっては本当にありがたくて。

奨学金が借りられなければ、せっかく第一志望で合格した大学を中退するしかなかったもんなぁ。

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「三人の子どもを大学まで卒業させる」ことは、高卒で就職し苦労した、私の両親の悲願でもありました。三人全員を中学から私立に通わせるという分不相応な教育投資は、その悲願達成のためでもあって。それが経済破綻の一因になったのは、とても皮肉なことなのだけど。

だからこそ、私や姉が奨学金を借りてでも大学を卒業したことは、親にとっても大きな慰めになっただろうな、と思うのです。

今はクラウドファンディングやネット起業など、学生がお金を集めたり稼いだりする方法がたくさんあります。でも世間知らずだった当時の私にとって 、奨学金制度はまさに一縷の望みでした。

経験を通じて、娘たちに想うこと

たまたまですが、私の夫も奨学金で学費をまかない、18歳から一人暮らしを経験しています(しかも夫は院卒なので、借りていた期間は6年。総額も私より多く、あとまだ数年返済が続くらしい……)。事情は違えど、親の負担を減らしたい気持ちがあった様子。

親のお金で悠々自適に過ごす友人を羨ましいと思ったことや、自分の身の上を恨めしく思ったことは、正直数え切れません。でも《若い頃の苦労は買ってでもせよ》とはよく言ったもので、振り返ってみれば当時の経験は今の私の価値観に多大な影響を与えているな、としみじみ思います。

月に最低どれくらいのお金があればやりくりできるのか。生活のなかで自分は何をなぜ優先したいのか。不甲斐ない親の姿を反面教師に、仕事とはお金とは夫婦とは幸せとは……簡単に答えが出ない難問について、考え過ぎて眠れないこともありました。辛かったけれど、その経験は私にとって財産そのものです。

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娘たちに、私のような惨めな想いをさせたいとは思いません。でも《18歳になったら最低限の支援だけして、とっとと家を出てもらおう!》という点では夫ときっちり合意していて、娘たちには「とーちゃんかーちゃんと一緒に暮らせるのはあと○年よ~」と今から吹き込んでいるくらい(笑)。

《放牧育児》と称して、5歳ともうすぐ3歳になる娘たちに「自分のことは自分でやりなさいね^^」と常々言っているのは、そんな経緯もあってのことだったりします。

おわりに:昔の私に伝えたいこと

大学を卒業し晴れて社会人となり、いよいよ奨学金の返済が始まったとき、将来への不安と同時に「これ完済する時って、私もう30代後半とかなんや……オバちゃんやん……!」なんて、ちょっとウンザリした記憶があります。

でも無事に完済出来た今、当時の私に伝えられるとしたら「仕事も楽しいし、幸せに暮らしているから安心したまえ♡」かな。大丈夫、あなたは自分が思うより、たくましいから(笑)。

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13年半頑張った自分に「おつかれさま」と、私に学生生活を続けさせてくれた育英会に「ありがとう」を。

長年の肩の荷をひとつ下ろせたことだし、これからはますます軽やかに生きていこうっと♪

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もうひとつの自分史、阪神大震災での被災経験[tm1]

この記事を書いた橘花(kikka)ってこんな人